父親と男の子
男の子は、中学一年くらいまでは、父親を尊敬の対象にするのものですが、実態を批判的に見る目が育ってくるそれ以降になると、「なんだ、えらそうなことを言ってても、駄目親父じゃあないか」と気付いて、父親像が一挙に崩れて、父子関係が急に悪化するということがあります。

しかし、父親が普段から子どもと触れ合って遊んでいる場合には、子どもは父親の実像を知っていますから、そのようなことはなく、「あ、お父さんも一人の人なんだ」、「弱さを持つ人なんだ」というように理解していけるのです。

もちろん、父親が人間として自分を向上させようと努力することは必要ですが、子どもに、実像とは違う立派過ぎる姿を見せようとするのは、問題です。結局、男の子が中学二年くらいになったら、それがウソの姿であることが、バレてしまうからです。
父親は子どもにありのままの姿を自然に見せて、繕わないというのが一番いいですね。

自然に、弱さを見せていても、中学一年くらいまでは、子どもは父親を尊敬しているのです。
自然に見せていれば、中ニくらいから、「なんだ、親父だって普通の人じゃないか」という段階に入っていくときに、尊敬が消えるわけではなくて、大人同士のつきあいに自然と入っていけるのです。

問題は頑固で、厳しくて、近寄り難い父親で、自分は完璧であるように、いつも人に命令ばかりしている父親に、突然、人間として、弱さや悪いところがいっぱいあるのだと分かったときなのです。その落差が激しすぎるというのが問題なのです。

父親の威厳

だから、自然に弱さを見せておいて、だんだんと絶対的な父親像から、人間としての弱さを持つ父親へと移行していく。それがなるべく長い期間で、自然に緩やかに移行していけば良いのです。
それを、中一、中二くらいまで、絶対的な、完璧な父親像を押し付けておいて、子どもの目が見えるようになてきて、それが嘘だと分かったときに、その落差が大きすぎると、男の子は父親を軽蔑したり、憎んだりするようになります。

父親が家庭で自分の悩みを打ち明けると、子どもも、「親父でも悩むんだ。自分も悩んだら、それを親に話してもいいんだ」と分かって、悩みを親に話しやすくなります。

だから、食卓でお父さんが、「今日、こんなことがあってね」とか、「自分が失敗しちゃってね」とか、「ついかっとなっちゃってね」と言うと、お母さんが、アクティブリスニング(受容的・積極的な聞き方)で、「ああ、それじゃ、悔しかったのね」とか「大変だったのね」を受け止めるのを子どもが聞いている。そういうのが一番いいと思います。アクティブリスニングが家庭生活の基本ですね。